先の(1)の項では、怒りの感情の原因は「なれなさ」だと書きました。
ここ(2)では、わたしたちが怒りの感情を抱いてしまうもう1つの理由について述べたいと思います。
怒りの感情は「じつはすべてを知っている」ところから生まれます。
ここでも(1)と同じ例、すなわちCAになりたくてもなれなかった人を例にとるなら、彼女は「本当はわたしにはCAは無理」とわかっています。自分よりもっといい大学を卒業していて、英語ができて、ルックスがいい女子がCAになるのであって、わたしには無理と、じつは知っているのです。さらに言えば、「本当は神様が与えてくれた使命を生きるべきだ」と彼女は知っています。
その「本当のこと」を知っているにもかかわらず、彼女の心は怒りで満ちているのです。
それはなぜ? 本当のことを知っているのであれば、その知っている本当のことに向かって、ふつうにまっすぐ歩けばいいのでは?
じつは彼女は「本当のことを知っている自分」を周囲の人に証明したくて怒るのです。
本当は自分の適職くらい知っている。それはCAではないと知っている。本当は神様に与えられた使命を生きることが「善く生きること」だと知っている。本当は「善」に向かって生きることが最上の人生であると知っている。
しかし、彼女はそうできない。なぜなら彼女は、CAになれないこと、すなわち生まれもった能力の限界や環境の限界に納得していないから。
だから彼女は「わたしは本当のことをじつは知っている。しかし知っていても、どうしても心と身体がバラバラにしか動かない。だから<こう>しか生きれない」というのを、周囲の人に、あるいは自己の中の神に証明したいのです。
だから彼女は怒るのです。<こう>しか生きれないことに納得できない「弱さ」を、周囲の人や自己の中の「善」に隠すために怒るのです。
たとえば引きこもりがちな人、会社のあの上司、あなたの親……などは、みなさん、「本当は善に生きるべき」とわかっています。わかっているけど、自分の「血」のことになると納得がいかないのです。生まれもった能力の限界や選べなかった環境を、どうしてもそれと認められないのです。だから怒るのです。
つまり、「なぜこの自分が自分なのだろう」という問いに答えを与えられない、その与えられなさが怒りの根本原因なのです。