セックスしても虚しさしか残りません

●質問
最近、セックスしても虚しさしか残りません。なぜだか教えてください。

エステクイーン | セラピスト募集・メンズエステの高収入求人

●回答
世の中の多くの人は、性行為が持つ快感それ自体を純粋に味わうためにセックスしているというよりかは、寂しいからセックスしているのです。
そして、寂しいからセックスしたところで、快感が終われば(つまり性行為が終われば)、寂しさは再びヒタヒタと押し寄せるのです。だから虚しさしか残らないのです。

私たちは「なんか寂しい」と思ってセックスします。
なんか寂しいからオナニーし、それでは当然満たされないから、セックスの相手を探し求め、セックスします。
マッチングアプリで出会って結婚した人がわんさかいるにもかかわらず、マッチングアプリがいまいちメジャーになれないのは、その手の寂しさがアプリを覆い尽くしているからです。つまり、「なんか寂しい」という「他人に言えない、隠したい気分」をきっかけとして使われるもの、それがマッチングアプリだからです。

「なんか寂しい」というのは、なにも「恋人がいないから」という理由だけではありません。
それは表層的な理由にすぎません。
本当の理由は「永遠」に届かない気がしているから、なんか寂しいのです。
永遠というのは、簡単に言うと「かくありたい」という「崇高な精神」のことです。

たとえば「本当はプロのピアニストとして、楽譜どおりに弾くのではない、魂の震えをも演奏したい」と思っている、その思いが、その人にとっての永遠です。

しかしその人は、どう転んでも、楽譜どおりにしか弾けない。だから、音大を卒業するとき、一応「優秀賞」をもらったものの、就職先は町のピアノ教室しかなく、子どもにピアノを教えているそばから「永遠」が顔をのぞかせ、でも魂の震えなど弾けないものだから葛藤し、つまりなんか寂しくなり、心の中の「永遠」に反抗したくなり、「あ~!」となって、(やけっぱちになって)セックスし、セックスの最中は快感に恍惚となるも、セックスが終わってティッシュで拭いているそばからなんか虚しくなるのです。

ピアニストは単なるたとえですが、多くの人にとってセックスとは、じつはそのようなものなのです。

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